「そうかい、それは大変だったねぇ。」
「全くよ。みのりんは完全他人任せだし…手伝ってくれても良かったのに…」
「それは無理だろうよ。あんな幼い子に大人を運ぶ力は無いって。」
二階の部屋の一室を借りて、そこに寝かせる。今はもう呼吸も安定しており、その内目を覚ますだろうということで、今は穣子が横についている。
早苗は一階のカウンターで、他の客とつるんでいた。顔は知らないものの、社交性が高い彼女はすぐに誰とでも話ができた。
「それは甘えよ。」
「いや無茶だろ。例えば…そうだ、あれだ、お前さん、この古代語を読んで
「すいませんでした。」
精霊や神との親和性が高い上に、手先が器用で盗賊技能をもこなす。腕力も壊滅的でない彼女は一見万能のように見えても、難しいことを考えたり学んだりするのは苦手だった。
知識とは溜込まなければいけない。相手のことを知り、覚えることができても魔法の類となれば笑顔で逃げ出すのであった。
穣子は逆に何でも知りたがり、知識を得ていくのが楽しいらしく、魔法の類にいつの間にか秀でていた。
反対に体を動かすことは嫌いで、お前それでも子供かよと言いたくなるような場面はしばしばあった。
「しかしお前、あの有名なチーム『妖々花』に付いてきてたんだろ?いいのか、そっちには迷惑はかかんないのか?」
妖々花というのは例の先輩方のチームの名前。そこの参謀が『人の集団を東洋の文字で表す呪い(まじない)』を試したところそうなったらしく、結局そのままそれで決定となったという、結構適当な決め方だそうで。
その呪いにとても興味を示した早苗。呪いの類は魔術と違い、早苗のような巫女の方が適正な場合もある。呪いは知力うんぬんよりも、精神的な干渉が求められることの方が多いのだ。
いつかそれでチームの名前を決めるためだけに、早苗がそれを習得したことを穣子はまだ知らない。
「あぁ、それは大丈夫よ。リーダーがその辺はいい性格してるから、こういうのは許してくれるわ。」
「あー…あれなぁ。あれはもう、なんていうか…馬鹿、だよなぁ。」
「もしくはまな板ね。」
などと、結構ボロクソに言われていることも知らずに、そのリーダーは今討伐を終えて帰ってこようとしているところであった。
「…っにしても…」
早苗が下で客と話をしている間、穣子はずっと助けた人の元にいた。
その人が気になったのではなく、着ている物と羽衣に興味を示していた。
「どういう人か、全く読めないんだよねぇ…」
その人が纏っている服、羽衣、すべてが上質のもので、とても一般人が手に入れることのできないような代物だった。
だからといって、貴族でもない。というのも、体のあちこちに昔に付けられたのであろう傷跡がいくつもあったり、貴族だとすれば異様に細かったり…後者は流されている間にそうなったのかもしれないが。
何というか、もったいない体をしていた。とても美しい肌をしているのに、生傷古傷がそれをすべて台無しにしている。
「…一番考えられるのは、この人が悪人だってことだね。」
誰かから盗んできた、そうなれば辻褄は合ってくる。捕らえられ、拷問でもされて、それから海に投げ捨てられた。別に不思議なことではない。
全くこの人のことを知らない。助けたけれど、果たしてこの人が善人であるか悪人であるか。それは、目を覚ましてくれないことには分からない。
その意味でも、穣子はこの部屋に残っていた。もしも後者だったら。逃げられないようにしておくのも考えたが、前者である可能性だってある。下手に手を出さない方が賢明だろう。
「…ん……」
「あ、おはよ。やっと気が付いた?」
警戒心を悟られないように、にっこり笑ってそう声をかける。対してまだちゃんと頭が働かないのか、焦点がなかなか合わなかった。
それでもしばらくすると穣子と目線が合い、かすれた声で尋ねた。
「…ここは…?」
「アレトゥーザっていう、海に面した街。びっくりしたよ、浜辺に打ち上げられてたからさ。」
「…アレトゥーザ…ですか?」
「そう。…知ってる?」
「…いえ…」
様子を見るなり、かなり無防備な状態だ。相手には今のところ警戒心は芽生えていない。
しかしアレトゥーザを知らないとは、と心の中で呟く。都市として大規模で、少なくともかなり遠くの出身でないと存在を知らないということはあり得ない。となると、本当に東の国の方からやってきたのか。
「そっか。じゃあ、いくつか質問するから答えてくれる?
まず、君の名前は?」
「名前…永江衣玖ともうします。」
「めっちゃくちゃ東国の民だ。」
名前から大体の出身を予想できることはあるが、ここまで露骨だと苦笑しかしなくなる。
始めに睨んだ通り、東の方から流されてきたという説で正しそうだ。島流しの刑とか、なんかそんなものがあった気がする。
「ん、じゃあ次。何で海に流されたの?」
「え…何故……ですか。……」
その質問に困っている様子だった。うつむき、言葉を詰まらせる。
それに、ぴくりと反応する穣子。言いにくいことだろうか。それなら、と質問をしようとした刹那、
「…思い出せません。」
「…え?」
「あの、私…その…自分の名前しか分からなくて…その、すみません…」
「……」
ナンテコッタキオクソーシツカヨ。
申し訳なさそうに頭を下げる。流石にこれには予想外で穣子も動揺する。
「えっと、自分の名前以外に何か覚えてることってない?どんな小さなことでもいいからさ。」
「え、えーと……」
必死に何かを思いだそうとする。時計の長針が大体一周すると同時に、
「…昨日の晩ご飯は味噌汁だったような気がします。」
「んなあほな。」
昨日の時点じゃあ打ち上げられてたか海に漂ってたでしょ、と思わずツッコミを入れる。あぁそうかとポンッと両手を合わせ、その後また頭を下げた。
何というか、いちいち頭を下げるところあたり丁寧ではある。
「…じゃあ仕方ないっかぁ…さってと。これどうしようかなぁ…」
「あら、目覚めたんならあたしも呼びなさいよー。」
「っ!?え、だ、誰です!?」
いきなり第三者の声がして大変びっくりする衣玖に対し、それをいつものことのように受け止めている穣子。一つため息を付いて、後頭部を手で掻きながらその声に返事をする。
「相変わらず君はタイミングがいいね。また何で目を覚ましたって分かったの。」
「そんなの、勘に決まってるじゃない。やぁーねぇー、そんなの今までに何度もあったでしょー?」
「そうだね、昼間にもあったね。たださ、初対面の人がそれ見たら心臓飛び出るくらいびっくりするからやめようね?」
穣子がそう言うと、天井から唐突に床へと華麗に降り立つ。ひぎゃあという衣玖の声が聞こえたけれど、そりゃ上げるわということで二人は完全スルー。ぼんやりした頭に唐突にこんな奇術を見せられるのもそこそこに可哀想な気はした。
「…で。これからこの人どうする?右も左も分からないようなこの状態でどっかに放置するのも可哀想っていうか、その辺でチンピラに襲われて結局助ける羽目になりそうっていうか。」
体の内側はボロボロでも、隠してしまえばただの美人。いいようにしかされそうにない。
「一つ、すっごくいいこと思いついたわ。」
「ふぅん、何。」
その刹那、ニヤァと笑う早苗。あ、これは嫌な予感だと悟る穣子。そして、それが何のことか全く分からない衣玖。
「ウチと契約して冒険者になってよ!」
「ぼ、ぼうけんしゃ…ですか?」
「はーいストップ。」
ベシッと後頭部を殴り、ちょっとこっちにこいといった感じで早苗をひっぱる。不意打ちされた部分をさすりながら、小声で話す穣子に合わせて彼女も喋った。衣玖から怪訝そうな眼差しを向けられているが、今はそれは無視するしかない。
「いやいけるって。あたしのカンが囁くのよ、彼女はできる子だって。」
「…まぁ、才はもしかしたらあるかもしれない。正直ない方が違和感を感じるくらいだよ。それは目を瞑るとして…ダメな方だったらどーすんのさ。」
「じゃああんたはこのまま放っておけとでも言うの?それはイヤよ、助けた人は最後まで面倒を見る。それが普通でしょ?」
やれやれこのお人好しは、と一つため息をついて肩を竦める。それに、と早苗は一言付け加えた。
「根拠はないにしろ、ウチはそういう星の下にいるようなものでしょ?だから今回も、あたしたちのところに来たってことは、引かれてきたってことにしか思えないのよね。」
「よく言う。うちの宿の異端者が…連れてこられたあたしが言うのもどうかしてるっては思うけど。」
実は、早苗らの所属している宿には一つ隠し事があった。それは誰にも知られてはいけないし、その隠し事に当てはまらない者は所属する契約が結べないのである。
普通はありえないような隠し事。しかし、それを今まで守ってきた(というよりは偶然そうなって後からできたルールなのだが)。それを破ることは許されていない。
…早苗は破ったようなものだが。
「…あの、何をお話になって
「え、あぁ、ごめんなさいね、保存のツボは中身が取り出せるのにそのほかのツボは取り出せないってどういうシチュエーションなのかしらって相談してた。」
「そういう別世界の話をするのはやめよーね。…ま、いいや。確かに早苗が言うのも一理あるかもしれないし。それに…」
と言って、言いづらいことだったのか、そのまま口を閉ざしてしまった。不思議そうな顔をするも、早苗は衣玖の方を向き直し、笑顔で提案する。
「…改めて。あんたをあたし達の『チーム』に迎えたいのよ。荒仕事が多いし命の危険は保証できない。けどね、悪いことばっかり、でもないのよ?人の役にも立てるし、何より自由を求める職業なのよ!」
テーブルがあったらバンッと叩きそうな勢いで熱弁。衣玖もその勢いに押されつつ、いきなり言われてもと困ったような顔をした。
そりゃそうだ。いきなり命の保証はない仕事を提案されてはいやります、と答える人などいない。
知っているからこそ、
「…こっちもね。ただで人は養えないからね?」
良心をグサリと突き刺すような一言を穣子が放ってやった。
「わわっあのそのすみませんごめんなさいやりますやりますっ!」
「ちょっとあんた!脅してどーすんのよ!!鬼かっ、悪魔か!!」
「事実じゃんか。それに、こうでも言わないと言葉の泥試合になっちゃうじゃんか。引き込むのなら引き込む。中途半端は良くないよ?」
やれやれ、といった感じで竦める。彼女が正論だとは思っても、やはりやり方が気に食わないのか、穣子の先ほどの発言を無かったことにするかのように再び衣玖に言った。
「あたしとしては、別に無理に引き込む気はないわ。冒険者にならなくても、宿のお手伝いだけで十分だもの。…けど、それじゃあもったいないって思うのよね。普遍的な生活は悪くないのだけれど、いささか退屈なのよね。で、よ。あんたはどうしたいって思う?折角非日常の始まりみたいな事態に巻き込まれたんだし、折角だからいっそ、もっと巻き込まれて、自分の思うがままに生きたいって思わない!?」
相変わらず早苗らしい、支離滅裂な理論だと穣子はため息をつく。自分の意見をただ押しつけるかのような…いや、説得自体そのようなものだ。聞こえはいいが、結局のところ、自分がこうなってほしいという提案を相手に飲ませる。
そして、大抵、
「…やります。」
飲まされてしまうのだった。
というわけで、衣玖さんがチームに加入しましたやったねたえちゃん!!
え、衣玖さんを記憶喪失にしたの?絶対しなかった場合、「私はチームの皆さんに迷惑しかかけませんから」って言って、絶対に入らないから。リーダー入らないと進まないから!!