「…おはようございます。」
今日は何となく静かに近づきたかった。時々、私を起こしにきてくれたときのように。
私は朝が弱いので、どうしても起こされる側になってしまう。一度でいいから穣子を私から起こしてやりたいものだ。
…最も、今はまさにその立場に立っているのだが。彼女を起こそうとして、未だにできないでいる。
私よりもよっぽど寝起きが悪い。
「いくら私でも、ここまでグースカ寝ませんよ。」
もしも、このまま起きない日が続いて、ずっと、私が死ぬまでこのままだったら。
今日、目覚めなかったら、きっと…
…いつになく弱気になっている。そんな根拠はどこにも無いのに。最近風が強い日が続いていたから風邪でも引きかけているのかもしれない。
自分の下唇を噛んで、痛みでその不安を紛らわせる。歯を離すとひりひりと痛んだ。
このくらいの苦しみはどうということはない。私よりも、よっぽど辛い目にあっているのは彼女の方だ。
…私が、しっかりしなくては。
「……」
ふと、ここで一つの光景が脳裏をよぎった。それは、私たちが初めて依頼をこなしたあの日のことだった。
あのときはまだ右も左も分からない、本当の意味で駆け出しの冒険者だった。今の6人のメンバーが揃う前の、3人でこなしたあの依頼。ゴブリン退治の依頼だった。
3人故無事にこなすことができるかどうか不安だったが、無事に誰もが死ぬことなく帰ってこれた。今思えば、それが今のチームとしての始まりだったと思う。
「…少し昔話をしましょうか。」
いつもの椅子に座る。少しだけきしむ音が部屋に響いた。
「覚えてます?私が貴方たちと初めて依頼をこなした、あれ。あのゴブリン退治の依頼なのですが。」
今思えばかなりの無茶のように思える。ただ穣子と早苗は冒険者として私よりは長く、二人で討伐はやったことはなくても、実戦経験はあった。
宿には長く冒険者をやっいてかなりの実力を持っているチームがあるのだが、そこで少しだけお世話になっていたらしい。仲が良すぎてタメ口になっているのは流石に問題だと思うが。
「600spに200spと賢者の杖。割のいい依頼でしたよね。…その200spほどは初討伐達成だって、酒代に消えましたが。」
幼い神とあの万能巫女の酒の飲むことといったら。酒豪を二人抱えると大変なことになるというのがよく分かった一日だった。
ただ穣子は見た目が子供な上、種族をできるだけ隠しているようなので、子供だからお酒は無理だからジュース、と言われることもしばしば。そんなときは苦い顔をしながら飲んでいる。
そのときは無礼講だとか言って酒を飲んでいたが。
「安かったですが…とても美味しかったです。私思うのですよね。あのお酒が飲めたのは、貴方が居てくれたからだと。」
そうだ、一人では決して飲むことはできなかった。
穣子と、早苗と、皆と出会ったからこそ飲み明かすことができるそんな特別な酒。全員が揃わなくては決して飲むことができない。
特に、貴方が居なければ。
「またあのお酒が飲みたいです。貴方が居ないと飲めないのですよ。貴方が一緒でなければ…」
どれだけ高い、美味しい酒を振る舞われたところであれに勝ることはできない。
はっきり、そう思う。
一緒だからこそ味わえる、そんな。
「…ゴブリン退治の依頼の話が酒を飲む約束の話になっちゃってますね。」
自分の話がブレていることに気がつく。同時に、それほどまで特別なものだということを再確認させられた。
これほどまでに、私は、この幼い神様が好きなのだ。
何度も助けられ、傍で笑顔で居てくれる穣子が、誰よりも。いつ好きになったのかは分からないが、確かに好きなのだ。
「…尽くされるだけ尽くされて、尽くし返せないのは酷い話だと思うのです。」
一月が経とうというのに、眠りから覚ましてやることができない。
夢の檻に閉じこめられた穣子を、未だに助けることができていない自分が居る。
…もしも。本当にあの物語のようにして目を覚ましてくれるのであれば。
唐突に思い出した童話。王子様が、眠り姫を助ける、あのお話。
私は、彼女の王子様にはなれないか。
「……」
顔に触れて、目を閉じる。そして。
ゆっくりと、その唇に、自分の唇を重ねた。
暖かく、柔らかい、彼女の。
…身勝手だとすぐに思った。一方的に想っていたとすれば、とても残酷なことをしてしまったと思う。
離すのが怖い。顔を見るのが怖い。
私はふさわしかったのか。彼女が私をどう思っていてくれているのか。
彼女を見なければ、分からない。
「……あ。」
思わず声が出た。
それは、私の願った表情でも、恐れていた表情でも無かった。
彼女は、とても、
幸せそな顔をしていた。
いつもの、とまでいかなくても、優しい、暖かい、穣子らしい表情。
身勝手だと思った口づけは、彼女にとってある程度本意的なものだったらしい。目を覚まさなくともよく分かる。
それほど、彼女は穣子らしい顔をしていた。
自分も想っていてくれた証拠。それが恋愛対象なのか、違うのかは分からない。分からないけれど、確実に。
「……」
それが、私は、
良かった。
とは、思えなかった。
「…もう、手遅れだというのですか…?」
穣子はもう、遠い、遠い、遠すぎるところに行ってしまってのか。
もう、私の声は、想いは、届かないのか。
もう、穣子はここには居ない。
脳裏に、そうよぎった。
手を伸ばしても届かない。姿も見えない。
どうすることもできない距離に、穣子は居る。
「…私、は、」
カノジョノオウジサマデハナカッタ?
昨日、怪我の治療のために道具を漁っているときに一通の手紙を見つけた。
整頓された薬入れの奥の方にぽつんとあったそれ。分からないところに、しかし、注意深く探せば出てくるところにある手紙というのは。
「――遺書。」
思わず背筋がゾッとした。
何故こんなときにこんなものを見つけてしまったのか。
穣子のことだから、これ自体は前々から残していたものなのだろう。いつ消えるか分からない、小さな小さな神様。何が起こるか分からない明日のために、きっと彼女はいつかのために書き残していたに違いない。
私はそれを、そのときは読まなかった。
読まなかったが、持っていた。持ったまま、昨日は帰った。
「…死んだら死体は丁重に燃やす。消えたらそのまま何も残さない。目覚めない状況になったら、」
すぐに、殺してくれ。
自分の考えられる状況を、その手紙にはいくつも書かれていた。
用心深いと思うと同時に、いつかこんな日が来ることを、予言していたように思えた。
一月経てど目覚めない。
もう呼びかけても届かない。
きっと、彼女は目覚めることなくこのまま眠り続けるだろう。生きているのか、死んでいるのかも分からないまま。
私も、それは死よりも絶望的な状況だと思うから。
「…穣子。」
愛していました。
小さく、傍に居ても届かないくらい小さく呟く。私は静かに自分の片手剣を握った。
震えている。どうしようもなく、治まらない。
寝ている相手だから、人振りで殺すことができるだろう。それなのに、なかなかその
一振りが出来ない。
分からなくなってきた。本当にこれでいいのか。まだ他に何か方法はあるのでは無いか。
過呼吸になり、ぐちゃぐちゃになった頭の中で、
コノママ生カシテドウスル?
誰かが、囁いた。
たった、その一振りで、儚い命は葬り去られた。
赤い、紅い花が咲いた。
ぽたぽたと、剣の刃から朱の滴が滴り落ちた。
そして、彼女は二度と目を覚まさなくなった。
…なんて。
「なんて、出来るはず無いでしょう…!!」
気が付けば、剣は腕から力無く落ちていた。音を立てて落ちたはずなのに、それすらも分からなかった。
赤でも紅でも朱でもない、代わりに透明な滴がいくつも落ちて、床に跡を作る。
勿論、返ってくる声は無い。私はただ、嗚咽を漏らして泣いていた。
遺書には続きがあった。それは、仲間の皆に当てた手紙だった。
私はそれを、自分宛のものを探した。あまり多くは書かれておらず、けれど、しっかりとした文字で書かれていた。
「衣玖さんへ。
衣玖さんのことだから、絶対にあたしがこうなって、泣きわめいていると思う。君は優しすぎるからね、誰に対しても。」
誰にでも優しくできたのではない。穣子だからこそ、私は優しくできた。他の人に穣子と同じように優しくなど、酷いことを言うが、とてもできない。
「だから、あたしから一つ言っておくよ。自分の本心に嘘は付かないで。あたしの言ってたことなんて全部忘れちゃっていいから、君のやりたいように、好きなようにやればいい。誰もそれに対して怒ったりしないから。君が立ち直って、また笑っていてくれるのが、あたしからの最期のお願い。
…衣玖さん。大好きだよ。」
好きなように。そう、彼女が残してくれた。
自分の気持ちに嘘を付くな。自分のやりたいようにやれ。
それならば、私は私の好きなようにやらせてもらうとする。
「…私は…まだ諦めることができません…酷いことをするとは思います…しかし…!」
それでも、私は穣子が帰ってきてほしいから。
たとえ可能性が限りなくゼロに近くても、私はまた、穣子と一緒に笑って、泣いて、喜びたいから。
ずっと隣にいてほしい。断ち切ることのできない、確かな想い。
だから、私は。
その遺書を、破り捨てた。
「また貴方の隣を歩きたい。貴方の傍に居たい…いえ、居させてください。私には、貴方が必要なのです…貴方の居ない世界なんて…」
きっと、耐えられやしないから。
死んでいないから、遺書の通りになんてする必要など無い。時々は私のわがままを貫き通すのもいいはずだ。
…最期なんてさせない。
くしゃりと、紙の音がした。
「…今日はすみませんでした、取り乱してしまって。」
もう夕方を過ぎて夜になろうとしていた。目を覚まさない眠り姫。その姿を見るたび、心が痛む。しかし、いつかは目を覚ます。そう信じて、私は明日もここへ通う。
目を覚まさないとしても、私には貴方が必要だから。
「そろそろ帰りますね。では…」
ドアに手をかけて、気が付いた。
「…穣子?」
ゆっくりと穣子に近づく。手が、体が、震えていた。
優くて、暖かい。ずっと待っていた、
「………衣玖…さん……?」
愛しい、その声がーー
「……、おはようございます、穣子!」
「…おはよう、衣玖さん。」
めでたしめでたし。
以上『ネムリヒメ』のリプレイでした!
この話が大好きで大好きで…!!衝動でやりたくなってしまったリプレイでしたw
リプレイっていうリプレイは今回初めてだったのですが、意外とすんなり書くことができましたこの話がおいしすぎたんですねはい。
以下、シナリオの更にネタバレ
本編では色々なキーコードを使いますが、今回は『治癒』『鑑定』『解錠』『攻撃(からの逃げる)』、シナリオ内だけのキーコード『昔話をする』『キスをする』の描写をしました(鑑…定?)。でも実際は『攻撃』してなかったし『明かり』を仕様してたりします。『明かり』は話の流れ的に入れることができなかったんです…!
あと関係は『両想い』でやってます。だってもう、この二人本館じゃあ両想いみたいなもんじゃないn((
…まぁ、実はリプレイでの関係は衣玖さんと早苗がフラグ立てる気がして怖いんですけどねアレモシカシテオヤジサンノノロイカ(_3が性転換して_1に惚れるってあれ)?
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『ネムリヒメ』 春野りこ 様